わたしの帰る場所

30代独身女性。日々のこと、心の変化などを。

30歳独身女性。
国立大卒の地方公務員。
容姿は、自分のなかでは中の上と下をいったりきたり。
端から見てる分には悪くなさそうですが、心にずっと色んなつかえがありました。
30歳になり、将来と自分の姿が鮮明になってきています。
安定しない心を抱えつつ、少しずつ前を向いきたい、生きる自信をつけたい、そんな気持ちを綴るブログ。

楽園

幼い頃から、


両親には

姉妹の中で一番優しくて良い子だと

言われてきました


夜泣きも少なく

手がかからなかったそうです



そのまま育ち、


いつも一人で解決する子と思われていました




学校のことは特に話さないし、

放っておいても大丈夫な扱いでした


小学生のある日


私は母に、

学校であったことを

友達とのことを話してみようと思いました




印象に残って消えないのが、


「それはあんたが悪いんやろ」


と一言いわれたことです




それまでも、

あまり多く話した記憶はありませんが




私はその言葉が忘れられず、


それを機に、


もう家で、自分のことは話さない

と決めてしまいました




当時の出来事は

とても複雑な感情だったのですが




やはりこの人に言っても、何の意味もない


大雑把で、思慮のない母には

全く伝わらない


何かに悩んでいる時、


自分の中で考えている以上のものが


この家からは出てこない




凄く失望したのを覚えています




小中学生くらいから、

家族に対してはそんな気持ちがありました





大人になってから

両親に言ったことがあります




尊敬が湧かない


質が低い親、と






家族を見下していました

 





家の中でずっと

中間管理職のようなことをしていたからです


その場の空気が、ピリッと震えるのが

色が変わるのが見えます


今何を言えばこの人がさらに怒るのか

瞬時にわかるのです



しかし両親には

それが分からないようで



妹の怒りに油を注ぎ


姉は不機嫌でした





小さい頃から


おどけたり

和ませたり

たしなめたり


いつも輪の少し外から、

家族を眺めて 機嫌を取ろうとしていました






人は面倒くさくて


家族というのは とてもしんどい





でも、私の力が発揮できるのは

そういう時でした 






 

一方で


早生まれの私は、

おそらく本当に小さい時から、

周りの子達に比べてできない事が多く


何度も劣等感を

植え付けられたように思います






一人で何でもやる子


心優しく、とても良いできた子





それと裏腹に、


自分はできない人間なのではという


何度も味わった劣等感




肯定してくれる大人が周りにいなかったことが

一番の不運でした




その劣等感は、

今も、朝起きた瞬間から始まります




自分を愛している人の目覚めは


どんなに快いものだろうと 


想像することがあります




それが365日繰り返されること





朝の空気の一粒一粒まで美味しいでしょう


美味しすぎて、気付きもしないはずです




そして、自分はその真逆の感情で365日

叩き起こされているのが


絶望的に嫌なのです







祖母の虐待や




関心のない割に


役割を期待する両親







愛情を注がれないこと


本当は誰も








私 を 見 て い な い











ということ










人に対する安心感がなく


自分の価値を疑い始めます


信じてあげられないのです




そこまでいくと終わりです




緩やかな自殺行為を繰り返す


人生が もうとてつもなく 


猜疑心に満ちているのです






しかし止まることができません


回し車のラットと同じ




胸の奥が空洞のまま


走り続ける虚しさだけがある





いっそ、何もできない人として

扱われた方が良かった







周りからの期待もない


変なプライドなんか持たなかったでしょう


助けてもらえたし、人を頼ったでしょう





仕事だって無理して


できるフリ


なんかしなかったし


手の届く範囲で、

自分の限界を低く設定して

生きたでしょう







生まれながら私は、


自分の人生は地獄ではないかと思いました





この世に楽園はあるのかという問いに

こたえられる人はいますか



私は 楽園が信じられないです




どんなに遠く旅しても、そこに私がいるからです